
「この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから」 U歴代誌 20:15
2011年度の教会に対する御言葉が、この神の戦いの御言葉です。
聖書を見ると、ヨシャパテ王やイスラエルの民は、アモン人モアブ人の大軍が攻めてきた時、以下のような対応をしました。
まず神に祈りました。信仰を用いたのです。
すると、主の霊が、聖歌隊のアサフ族出のレビ人ヤハジエルに臨み、預言が与えられました。
預言は、早く正確、具体的に示されます。そして、御言葉が与えられたのです。ヨシャパテ王も、 エルサレム住民も地にひれ伏し、主を礼拝し、賛美しました。
戦いでは、賛美隊を先頭にして戦いにでかけ、御言葉に従って踏み出すと、主が働いて大勝利を収めたのです。
神の戦いの特徴は、人間的にはかなわない相手と戦い勝利することです。ギデオンは、300人で13万5000人を打ち破りました。ダビデは一つの石で、2m86pの身長の戦士ゴリヤテを倒しました。いずれも人間的には戦って勝てる相手ではありませんでした。
しかし、いずれも大勝利を得ています。これは、神の戦いであるからです。
私達が、神の戦いを戦うためには、神様に対していくつかの条件があります。
第1に御言葉に基礎をおきます。第2に祈り込みます。曖昧のままでしたら、主の答えが出るまで祈ります。
第3に、サタンの試しや惑わしがきても、それに乗らないで、最後まで主の言葉に従います。
教会も、個人も主の言葉に立った時に、勝利します。
コリント教会跡(ギリシャ)
「私の兄弟達よ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたがさばきにあわないためです」 ヤコブ 5:12
私たちは計画どおりに上手くいくだろうと無意識に考えています。自分を信じているからです。果たして、自分の考えているとおりに上手くいった人はどのくらいいるでしょうか。現実は、自分の考えていることと違ったことがおこっているのです。
私たちは明日のことは、分かりません。私たちは、誰でも明日何が起こるのか知っている人はいないのです。確かなことは、全能の神様がすべてを御存知であり、全てを御支配されているということです。
私たちは、まるで何もかも自分ができるかのように、高慢に振舞ってはならないのです。断定できることなど何もないし、どんなに誓ったとしても、思い通りにはなりません。私たちは主の前に高慢になってはならないのです。
従って、私たちは、最善の計画をお持ちになる神様の御心がなるように、神の目に正しいと思われることのみがなされ、それ以外は起こらないように、祈っていかなければなりません。
ですから、高慢になって神のさばきに会わないように、主の前にへりくだって、正しいものは正しく、誤っているものは誤っていると信仰告白していかなければなりません。神の御言葉を信じて、間違っても御言葉と違うことを行なわないように祈りましょう。主の御心が行なわれることが最善なのです。
エルサレムの平和のために祈る集い(10/3)
賛美チーム打ち合わせ会
「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、また、あのことをしよう」 ヤコブ 4:15
皆さんの中で、明日の事が分かる人はいらっしゃるでしょうか。
もちろん、皆さんは、御自分の明日の予定は御存知だと思います。明日は、こうして、ああして、こうしようと予定をたてていると思います。
そして、その様になると考えていると思います。しかし、本当にそのようになるのでしょうか。自信をもって、そうなりますと言える人はいるでしょうか。もし、そう言える人がいるとすれば、失礼ですが、世の中の事がよく分かっていないか、おめでたい人だと思います。
人間は、明日のことは、明日が終わってみなければ分からないのです。予定はあくまでも予定であって、未定なのですね。聖書には、あすのことはわからないと書いてあります。私たち明日ことを知ることはできないのです。このことを理解すれば、皆さんは、とても聖書的な人です。
では、分からない明日のために、私たちはどうすれば良いのでしょう。「分からなくてもいいから、明日に向って突撃だ」と考えている人は、沢山います。しかし、聖書を理解している人は、主の御心ならば、私は生きていて、こうしよう、ああしようと考えて、全知全能なる主に期待して祈るのです。主の御心なら、このようにしてくださいと祈るのです。
すべての事は、思い通りにはなりませんし、明日の事はわかりません。しかし、主の御心ならば、神様が働き、私たちは、私たちの祈りと願いが実現するのです。明日への答えは、神に対する信仰です。自分の予定は、神にゆだね、御心がなる信仰を持ちましょう。神様に期待しましょう。それが、一番確実な方法です。
ガリラヤ湖(イスラエル)
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」 ルカ2:11
Sさん、いつも見てくれていたのですね。感謝です。さらに、神様の素晴らしい働きを実際に見ていきましょう。
ところで、ケーキ食べましたか?わたしは、食べました。しかし、世の中、イエス・キリストより、サンタやチキン、プレゼントの方に目が向いていますね。
でも、クリスマスは、イエスキリストの誕生を祝うというポイントは少なくとも押さえてほしいですね。このままでは、イースターやハロウインみたいになんだか分からない行事になったしまいます。
さて、天使が羊飼いたちに告げたのが、この言葉です。きょうイエス・キリストがダビデ王が生まれた町つまり、ベツレヘムで生まれたといっています。このことは、旧約聖書のミカ書にある預言の成就です。つまり、聖書の預言が、実際にそのとおり起こったのです。
聖書の約40%は預言なのです。それらの預言が、時が来たら次々と成就しているのです。実は、聖書は神の語った言葉が成就したことが書かれていますし、まだ、成就していない預言の言葉が書かれています。それらは、これから次々起こってくるでしょう。ですから、聖書はいわゆる「教え」と全く違っているのです。
それから、あなたがたのためとありますね。あなた方とは、羊飼い達のことであって、弱いものしいたげられた人達のことです。福音は、弱いものしいたげられた人達のところにまず、伝えられたことがわかります。これらの人達こそ、最も神の福音が必要でした。
そして、非常に重要なことが、書かれています。「救い主がお生まれになった」ということです。救い主、メシアが生まれたのです。単に子どもがうまれたのではありません。救い主と書かれています。ですから、私たちを救ってくださる方、困難な問題を解決し、私たちが抱えている重荷から解放を与えてくださる方、そして、何と言っても私たちの罪の身代わりになって、罪を贖ってくださる方です。そういう救い主がうまれたのです。
イエス・キリストは、人の名前というだけではなく、へブル語でイエシュア・ハマシヤといい、つまり、「イエシュアは、油そそがれた方、メシアです」という意味です。私たちが、イエスキリストとその名を口にするのは、イエスは、救い主ですと信仰を告白しているのです。
私たちは、イエスキリストが「私たち、ひとりひとりの救い主である」ことを知る必要があります。私たちの救い、それが神の計画、預言の言葉なのです。その預言の成就は、私たちが信じた時そのとおりに成就するのです。救い主、イエスキリストを信じ、救いのわざが実際に私たちの人生において現れることを見ていきましょう。
彩雲(イスラエル)
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」 ルカ1:35
Nさん、お体の具合はどうですか。いやしの祈りしています。
さて、クリスマスは、イエスキリストの生まれた日ではありませんが、降誕を祝う日となっています。
イエスキリストは、いつ生まれたのかというと、聖書にははっきりと書かれてはいません。
ただ、ルカの福音書を見ると、まず、アビヤの組の祭司ザカリヤが神殿で香をたいていたところ御使い(天使)が妻のエリザベツが男の子を産むことを告げたことが書かれています。バプテスマのヨハネのことです。
祭司は24組に分かれて、6ヵ月ごとに1週間ずつ神殿の奉仕をしていましたが、各組には300人位の祭司がいました。それを50人ずつ6グループ分割し、当番の週の1日を神殿に仕える日として働いていました。ザカリヤの所属するアビヤの組は6月に務めたことが知られています。
おそらくエリザベツは6月か7月に身ごもったのではないでしょうか。その6ヵ月後にマリヤが妊娠しましたから、12月か1月となります。9ヵ月後にイエスイエス様は生まれましたから、おそらく、9月か10月頃に降誕されたということになります。
御使いガブリエルは、神から使わされてマリヤに「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられます」と言いました。、処女マリアが男の子を産むことを告げられたのです。そして、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」と告げられたのです。
マリヤに聖霊の力が働きました。エリザベツは、マリヤの挨拶を聞いた時に、胎内で子がおどり聖霊に満たされました。
聖霊に満たされる時、神の力が働くのです。
イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために十字架にかかられました。そして、3日目によみがえり、天に帰られました。この時、イエス様は、「私は、私の父の約束してくださったものをあなた方に送ります。あなた方はいと高きところから力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」といわれ、ペンテコステ(五旬節)の日に聖霊が与えられました。
イエスキリストの十字架を信じたクリスチャンには誰にでも聖霊が与えられます。聖霊は私たちを助ける神の力です。
聖霊の働きを祈り求めましょう。私たちは、聖霊によって助けられるのですから、聖霊に助けていただきましょう。
ガリラヤ湖(イスラエル)
「今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」 ルカ2:11
Jさん、お元気ですか。教会で祈っています。頑張ってくださいね。
ところで、街はクリスマスシーズンになりました。クリスマスツリーやイルミネーションがきれいです。また、サンタクロースやトナカイのぬいぐるみが沢山飾られています。
子ども達に聞くと、クリスマスは、ケーキを食べる日とかサンタクロースがプレゼントをくれる日と思っている子が結構います。
親達がキリストの生誕を祝う日であることをきちんと説明すべきですね。
イエス・キリストは、神であられるのに、乙女マリアから人として生まれ、十字架に架かり、人々の罪を贖ってくださり、3日目によみがえらました。イエスキリストの十字架を信じる者は、永遠の命が与えられます。
この全人類の救い主であるイエス・キリストがこの世にお生まれになった時のことは、ルカの福音書2章に書かれています。
イエスキリストの誕生は、数百年前にイザヤを通して預言されていました。預言は成就したのです。神の言葉は真実で必ず成就します。
ヨセフもマリアも御使いを通しての語られた神の言葉を信じました。
それだけではありません。野宿していた羊飼いたちも御使いが語る神の言葉を信じてダビデの町のベツレヘムへ行くと、飼葉おけに寝ておられる生まれたばかりのみどりごイエスにあうことができました。
マタイの福音書2章では、東方の博士たちが星に導かれて幼子イエスを礼拝しに来たことが書かれています。
博士たちは、幼子イエスに黄金や乳香、没薬といった高価な品物を贈り物として捧げました。
そして、博士たちは夢でヘロデ王の所にもどらないように戒めを受けたのでその通りにしました。
イエスに関わった人々はヨセフやマリアを始め、すべての人が神の言葉に従っています。そして、神の言葉の成就を見ています。
神に従うことは、人々の人生を通して神の栄光があらわれることです。
イエス様は、昇天されましたが、イエスキリストの十字架を信じる者には、御自身の代わりに聖霊が与えられました。
私たちには、聖霊という助け主がともにいるのです。聖霊が与えられたのは、私たちを助け、神が私たちの人生において、生きて働いて、神の栄光をあらわすためなのです。
しかし、私たちが従わなければ神の栄光を見ることはできません。
私たちは聖霊の助けを受けるために祈り、神の言葉に従って、日々の歩みの中で神の栄光が現れを見てゆきましょう。
黄金門(エルサレム)
「主の軍の将として今来たのだ」 ヨシュア 5:13-15
Yさんいつも見てくださってありがとうございます。
さて、今、この群れに主が語られている言葉は、ヨシュア記の「主の軍の将として今来たのだ」ですね。
この言葉は、これで3回目になるそうです。今まで、この言葉をテーマにしたJゴスペル”やすらぎの歌”も沢山作られていますね。
この言葉については、いろいろな人が語りかけを受けています。主が大将としてこられたから、戦いが始まるとか、カナンの地の占領の歩みとか言っている方もいます。
私は、主が将となられたのですから、連戦連勝の常勝軍になると受け取りました。そして、これからの教会の歩みが主に導かれて、勝利の歩みをしていくのではないかと期待しています。
しかし、ヨシュア記を見ると、いくつかのステップがあることに気づきます。
1章9節では、「強くあれ、雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行くところで子にでもあなたとともにあるからである」と語られています。主がともにおられるから、強く雄々しくしていなさいと言われ、そして、主の軍の将が来ましたので、主のみことばあることが条件の一つです。
主がともにおられるのですからら、主は聖なので、軍隊もまた聖でなければなりません。イスラエルの民は、ヨルダン川を主の奇跡によってわたりましたが、その後、割礼を受けています。二つ目は、軍隊は、聖でなればならないことです。後にでてくる、エリコの戦いではアカンは、聖絶のものを奪ったため、アイの人々に負けてしまいました。主の軍であったのに負けました。そして、罪を取り除いたところ、その後の戦いは連戦連勝でした。主の軍隊の兵士は聖でなければなりません。
前後しますが、ヨシュアは、抜き身の剣を持った主の軍の将に敵か味方かを尋ねた時、「主の軍の将として今来たのだ」といった時、嬉しかったと思います。これから、約束の地に入るために戦いがあるからです。ヨシュアは、更に、しもべに何をつげられるのですかと聞きました。すると、「あなたのはきものを脱げ、ここは聖なる場所である」と告げられて、その通りにしました。これらを見ると、ヨシュアが主のしもべとして、主の前にへりくだって、主に語られたとおりにしていることがわかります。 三つ目は、主に聞き、主に従うことです。
主の戦いは、聖なる戦いです。それは、霊的な戦いであります。ですから、主がおられれば連戦連勝の常勝軍です。
そのためには、主の軍隊は、主の語られたとおりを行い戦うことが大切です。自分達の力ではありません。これは、型です。
今は、イエスの十字架により恵みの時代です。聖霊が助け主として私たちを助けてくれています。
私たちが、神の器として主に用いられるためには、悔い改めることは悔い改め、主に聞き従って、主のみこころのとおりを実行していく必要がありますね。
主に感謝します。