信仰のページ

<平安 Peace

ヨハネ1527 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

私たちは、日々の生活や仕事、学校の中で、私たちは様々な困難に直面します。そのため平安でいることが出来ないことが数多くあります。

しかし、イエス様は、「平安を与えます」と言っています。そして、その平安は、世が与える平安とは違うというのです。平安とは安らかにいることです。

困難の中にいても、困難に一生懸命立ち向かっている人がいます。その人は解決できると信じているから立ち向かうのです。どうして信じているのでしょうか、それは、試す価値のあるいくつかの対応策があるからです。では対応策が見当たらなかった時はどうすれば良いのでしょうか?

私たちクリスチャンは、そういう時にこそ、イエス様に頼ることができます。私達に対応策があってもなくても、イエス様には対応策があることを知っています。そして、祈り求めます。聖書のことばを信じて、神にすべてを感謝し、神を賛美し、困難のただ中で喜んで踊ります。

イエス様が平安を与えると約束してくださっています。神の言葉を信じますか?

 神を信じるなら、無駄に心を騒がせたり、恐れたりせずに、信仰の忍耐をもって神に祈り求め続けましょう。神様は約束を破るようなお方ではありません。


<全てが益 All things good

ローマ828 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
 

 人生を振り返ると、良い時もあれば悪い時もありました。雨の日も風の日も雪の日もありました。そして楽しい晴れの日もあったと思います。それは、その時には苦しかったけれども、過ぎ去ってみれば良い思い出となる場合が多いと思います。

 しかし、自分の心の中を探ってみると、悪いことはやはり今も心の傷になってはいないでしょうか。あの時、あんなことがなければ、こんなことにならなかったはずだという思いが今も、なくなってはいません。

 しかし、神を愛する人々、神のご計画に従って召された人々、つまり、イエス様を信じるクリスチャンのためには、神様は、全てのことを働かせて、つまり、良いことも悪いことも例外なく全てのことを動かし、働かせて益に変えてくださる、つまり、良いことにチェンジしてくださると言っておられます。

すばらしい神の約束の言葉です。私たちの人生の中で起こった、良いことも悪いことも全てを例外なく良いことにチェンジとてくださるというのですから、私たちの人生は良いことだらけとなるのです。神のことばを信じますか。
今、問題の中にいるクリスチャンは期待して祈り求めましょう。今、問題の中にいないクリスチャンは、これから問題が起こっても大丈夫です。神様に従っているクリスチャンで本当に良かったと思いますね。


<休息 Rest

マタイ1128 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。」

 人生をマラソンに例える方や登山に例える方がいます。いずれも、スタートがありゴールがあります。道はまっすぐだったり、曲がりくねっていたり、山があり谷があり、楽なときもありますが、苦しい時もあります。人生は一朝一夕では行けません。簡単には終わらないのです。人生とは重荷を負って山を登るが如しとあきらめている方の声も聞こえてきますね。

休むことなんてできるのかしらとか、休んでばかりいるとかえって疲れてしまうから休んではだめだといっている方はいませんか?

 しかし、イエス様は、疲れた人、重荷を負っている人は全員、私のところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげますと言われています。

イエス様は、疲れるから歩くのを止めなさいとか、面倒な重荷は放り出しなさいといっているのではありません。そうしたいのは、皆さんやまやまかもしれませんが、そんなことはできませんね。

 イエス様は、私が一緒に歩きますよ、ひとりで歩くのではありません。ひとりで重荷を背負っているのではありませんよ、私があなたの代わりに重荷を負いますよといっているのですね。え〜本当に神様が替わってくださる野という方もいラシャルカも知れませんね。

 本当です。イエス様は十字架にかかって私たちの身代わりになられたお方です。それも、私たちにまとわり付いてはなれない罪のためです。そして、病気を癒し、死人をよみがえらせた方が、私たちの問題を解決できないはずがありません。

 イエス様の元に行きましょう。自分が疲れているな、重荷を負いきれないな、もう休みたいなと思っている方は、イエス様に休ませてもらいましょう。

 神様は今も生きて働いておられます。だから、休ませることがおできになるのです。


<罪 Sins

Tヨハネ19 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

 罪にとがめられるような犯罪は犯したことなんてありません。どちらかと言えば自分は一生懸命生きてきた良い人で、犯罪人では決してありませんと思っている方が大勢いらっしゃると思います。私も以前そう思っていました。

 多くの人が、罪というと法律と考えて、刑法や民法などの法律をイメージしているのではないでしょうか。しかし、例えば、信号を守っていますか、スピード違反や駐車違反はどうですか。これは道路交通法です。違反した覚えのある方もかなりいるかもしれませんね。それって、法律違反をして捕まっていないだけです。セクハラも犯罪ですね。法律は、やってはいけないことや人が嫌がることを犯罪としています。

 人の嫌がることと言えば、法律で決められていることだけではありません。学校や職場でのいじめなど、厳しい言葉で他の人の心を傷つけたことはありませんか。そのことで、大事な命を失ってしまう方もいらっしゃいます。

誰も傷つけたことのない人はいますか?胸に手を当ててよく考えてみて、自分は、他の人や兄弟、家族に対して罪を犯していないと言えるでしょうか。 

 どんなに罪を犯さないと誓っても、直ぐに罪を犯してしまうのが人間です。正しい神様が人を作られたのですから、もともと人は正しかったのです。しかし、人は神に対して罪を犯してしまい神様から離れてしまったのです。これが罪です。罪を犯した人間は、悪いことをしたなと思いますね。人間の本性は、心にすぐに悪いことをしたなと感じる良心があります。それを「大したことではない」というように、頭や習慣で悪いと思わないようにしているとこの良心が麻痺します

 正しい人間に作ってくださった神様に申し訳ないですね。神様は正しい方です。ですから、私たちは、神様に対して罪を犯しましたと言って、悔い改めることが大切です。愛の神様はイエスキリストの十字架を通して罪を赦して下さいます。

 世の法律でも同じです。罪を認めることが、更生する第一歩です。世では悔い改めても罪を赦してはくれないかもしれません。

しかし、神様は、悔い改めれば罪を赦してくださるのです。何と恵み深い方ではないでしょうか。罪を犯したら悔い改めることを遅らせてなりません。神様は正しい方ですから、罪をそのままにしておくことはなさいません。必ず刈り取らなければならなくなります。

罪を犯したら神様に対して罪を言い表して、悔い改め、赦してくださるように祈りましょう。


<聖霊の力 Holy Sprit

使徒1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、及び地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 イエス様が全人類の罪のために身代わりになり、3日目によみがえり、昇天された時、弟子たちに、父なる神に頼んで助け主である聖霊を遣わしてくださると約束して下さいました。約束どおり、五旬節の日(ペンテコステの日)に弟子たちは、聖霊を受け、聖霊に満たされました。そして、異言や預言を語り、病のいやしなど顕著な賜物の働きがスタートしました。これは、聖霊の力です。そして、聖霊を力は地の果てにまで証人とし、神様が生きて働いていることを証する証人としての力であることがわかります。

 神様の言葉は変わりません。神の言葉は真実です。神の言葉は時代を超えて力があるのです。ペンテコステの日に起こったこれらのことは、今も変わらずに起こります。マタイ77には「求めなさいそう知れば与えられます。」とあります。へブル138には「イエスキリストはきのうもきょうも、いつまでも、同じです。」とあります。

 神のことばは真実です。聖書の御言葉を信じ、聖霊の力を信じて、私たちは大胆に聖霊の力、御霊の力、賜物の働きを求めましょう。


<孤児 Oaphans

ヨハネ1418 「わたしはあなた方を捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところにもどってくるのです。」

 私たちに与えられた神の言葉は真実です。ですから、自分は一人ぽっちで、誰一人として私のことを理解してくれる人はいないと思われている方は、神に求めましょう。イエス様は私たちを捨てません。そして、天涯孤独の孤児にはしないとおっしゃっておられます。

 私たちが、自分勝手に捨てられた、孤児だ、として神の言葉や神の計画を無視するならば、不信仰ですから、神の業は起こりません。しかし、信じるなら、神様は働いてくださるのです。なぜなら、イエス様は、私たちを捨てて孤児にはしないと言われているからです。

 聖書の言葉は、言い伝えや哲学や処世訓ではありません。水に打たれて修行を積みなさい、もしかしたらそうなるかもしれないとは言っていません。神の言葉ですから、信じれば、神がご自身で働き、神様のことばのとおりになります。ポイントは信じるかどうかです。神のことばを心にしっかりと留めて、そのようになると信じるのか、信じないのかの違いです。神を信じましょう。


<弱さ Weakness

Uコリント129 「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に表れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ、大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

 「弱虫毛虫、はさんで捨てろ」と小さい時はよく言っていました。もちろん、自分より弱く力の無い者に対して言ったのです。強い者は憧れですが、弱い者には誰も憧れを持ちません。女性は弱いとも言われますが、最近は「か弱き女性」は、変身して金メダルをたくさん取り、「女性は強し」と恐れられることもあるようです。

 いずれにしても、弱さは恥じることはあっても、誇ることではありません。ところが、イエス様は、主の恵みは十分であり、なぜなら、主の力は弱さのうちに表れ、しかも、完全に表れるとおっしゃっています。はあ〜?という感じです。神のことばは人間の常識とは何と違うことでしょう。

 天地をつくった神様ですから、人が理解できないようなことをなさるでしょうか? 時代が進み、科学が進み、今までわからなかったことがどんどん理解できるようになってきました。そして、人はそれを学び応用して更に、理解を深めるべく挑戦しています。つまり、神様が気まぐれに、理解できないことをなさることは無いのです。神様は真実な方ですから、うそや偽りがあるはずがありません。

 とすると、一体どういうことでしょう。神の力が完全に働くのだから、本当は強いはずではないでしょうか。人の行動には目的と方法があります。神様が働くには神様の計画と神様の方法があります。人は人のルールで、神様は神様のルールに従って働きをなされますね。

ここで、現在のパウロの状態が、主の恵みが十分行き届いている状態ですよと言っています。なぜなら、神様の力が、完全に働くためには、弱いことが条件としてあげられると言われています。確かに人間から見れば弱い状態でしょうが、神様が働くには、人間的には弱いほうがよいのです。人がやるのではなくやるのは神様だからです。

人間的には弱くて捨てられそうな方が実は、神様が完全に恵みを著わしやすい状態であるというわけです。そして、キリストの力、神の力、聖霊の力は弱い状態の方がかえってよいのです。そのため、パウロは、自分の弱さを、むしろ大いに喜んで誇りとするといっています。

私たちが弱い状態であれば、神様が恵みをあらわしてくださるので喜びましょう