ようこそ! 主の十字架クリスチャンセンター岡山フィラデルフィヤ教会のホームページへ

このコーナーは教会に1度も行かれたことのない方、あるいはキリスト教や聖書のお話しについて、関心をもっていらっしゃる方のためのコーナーです。いろいろな項目を作ってみましたので、ご関心のあるものをクリックして見てください。また直接ご質問がある方は、メールにてご連絡ください。

教会って何をするところ?

教会は聖書に書かれている唯一で本物の神様を礼拝するところです。

(ちなみに「教会って、ああ結婚式を挙げるところだ!」と思っている方はけっこういらっしゃるのですね。でもこれだけやっているわけではありません。)

聖書の中にこのような言葉があります。

「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

(新約聖書・エペソ人への手紙1章22,23節)

つまり教会は本当の神様が満ちているところなのです。この方は救いを与える方、病気をいやされる方、私たちを愛してくださる方、私たちを正しい道に導いてくださる方、ご自分が持っておられる全てのもので私たちを祝福してくださる方です。あなたもこの神様の愛に触れるために、教会に来て見ませんか?

実は以前、聖書の話しを聞いたことがある!という方へ

「日曜日の教会学校に通ったことがある!」、「自分の母校がミッション系だった!」、など直接キリスト教会に行ったという経験のない方でも、何かの機会にキリスト教や聖書の話しに触れたことのある方って、けっこういらっしゃいますよね。個人的にはクリスチャンとして、そのような方と出会えることをうれしく思います。

ところで、そのような方に1つだけ質問させていただいてもよろしいでしょうか?

『聖書の中で一番知ってほしいことを皆さんはご存知ですか?』

 せっかくキリスト教に触れる機会があったのですから、ぜひキリスト教の一番美味しいところに触れて見てください。それは

 聖書に出てくるイエス・キリストは、約2000年前に私たちの罪の身代わりとなるために、十字架にかかられて死なれたこと、また3日目によみがえられて今も生きて働いておられること、そしてこのイエス・キリストの十字架を信じる人はどんな人でも例外なく救われ、神の子供とされ、永遠の命を受けるということです。

 これが聖書の一番言いたいことであり、神様が私たち人間に願っておられることなのです。

聖書の内容は?


神が世界を創造された

 聖書の中には、「始めに、神が天と地を創造した。」(聖書・創世記1章1節)と書かれています。ですからクリスチャンは聖書に出てくる本当の神様が、この世界を造られたと信じています。そして神様は、その中でも特に人間を最高のもの、神様の形に似たものとして造られました。ちなみに1番最初の人の名前は、アダムとエバ(イヴ)です。この名前、どこかで聞かれたことがありませんか?

 その頃の人間は、神様の姿を見たり、神様の声を聞いたりすることができました。そして神様は人を喜ばれ、ご自分が創造されたこの世界を人にお任せになりました。人は神様が造られたものを受け、そして神のもとで安息すればよかったのです。

人に罪の性質が入る

 しかし人間が、その神との親しい関係を離れていくような出来事が起こります。

最初の人アダムとエバが、「これだけは食べてはならない。」と神様から命じられていた、善悪の知識の木の実を食べてしまったのです。このことは次のことを意味しました。

@     人間に罪を犯してしまう性質が入ってしまう。

A     罪を犯す結果として、人は死ぬようになり、永遠の滅びを刈り取るようになる。

B     神様から離れ、自分勝手に歩むようになる。

人を愛しておられる神様に人は背を向け、罪のおもむくままに人は歩むようになってしまいます。その結果が死であり、永遠の滅びであることも分からずに

正しい人は一人もいない

このようなお話しをすると、このような声が聞こえてきそうです。

「私はそんなに悪いことはしていない。そんな私も罪に定められるのか?」

確かにキリスト教を信じていない方々の中にも、真面目に生き、そして良い行いをしていらっしゃる方はたくさんおられると思います。しかし胸に手を当てて、考えていただきたいのです。

「私は1度も罪を犯したことはない!」 とすべてを見ておられる神様の前で、言い切れる方がいらっしゃるでしょうか?

聖書は「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、。」

(聖書・ローマ人への手紙より)と言っているのです。

 ですからこの問題にふたをしてしまう前に、神様が聖書を通して与えておられる解決方法を見ていただきたいのです。

イエスキリストの十字架とは?

罪の結果、永遠の滅びに向かっている私たち人間を、神様はあわれまずにはいられませんでした。そして私たちを救い出される道を備えられたのです!

 それは、神のひとり子である方、そして神ご自身であるイエス・キリストをこの世に遣わし、私たちが犯した罪の身代わりとして十字架にかける、という方法でした。

イエス・キリストはきよい完全な神であられますが、同時に完全な人としての性質をもってこの世に来られました。そして1度も罪を犯さないでこの地上での歩みをまっとうされ、十字架にかかられました。

 私には弟がいますが、例えば子供の頃の私が親の財布からお金を盗ったとします。そしてそれが親に見つかった場合、本来おしりをたたかれるのは私です。しかしここでもし、私の弟が、「ボクがやった。」と言えば、弟はお金を盗っていないのに、私の身代わりとなって、罰だけ受けてくれたことになります。(もちろんこういう場合、本当のことを言って謝り、お金を返すべきです。)

(例えはあまりよくないかもしれませんが)、そのようにイエス・キリストは

まったく罪のない、きよい方として十字架にかかって死なれました。それは、本来私たちが罪の結果として受けるはずの永遠の滅びを、キリストが身代わりとして引き受け、刑罰を受けて死んでくださったのです。

 しかも死んで終わりではありません。イエス・キリストは3日目によみがえり(復活し)、今も生きて働いておられるのです!

イエス・キリストは、私たちを罪の支配と死の力から解放し、勝利を取ってくださったのです!

天国に行くには?

信じるだけでいい

 聖書は約束しています。

このイエス・キリストの十字架は、私たちの罪の身代わりであると信じ、罪を悔い改め、イエス・キリストを主と告白する者は、誰でも例外なく救われ、神の子供とされ、そして永遠の命を受けるということを。

 イエス・キリストの十字架を信じるだけで、私たちは天国に行くことが約束され、この地上でも神の子供として神様の愛を受け、そして天にあるすべての祝福を受けていくことを、聖書を通して神様が約束しておられるのです!

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

(聖書・ヨハネの福音書3章16節)

このイエス・キリストあなたも信じてみたいと思いませんか?

思われる方は、神様に心を向けて次のように祈ってみてください。

『 愛する天のお父さま。

私はあなたを信じます。

今まで信じなかったことを赦(ゆる)してください。

私は、イエス・キリストが私の罪のために、

十字架にかかられて、死んでくださり、

3日目によみがえってくださったことを、信じます。

どうか、私を神の子供としてください。

聖霊(せいれい)様、私のうちに入ってください。

約束どおり、私は救われました。

私の主は、イエス・キリストです。

感謝して、イエス・キリストのお名前によって

お祈りします。アーメン。』

この祈りをされたら、あなたも救われました。これであなたも神の子供です。救いのためにはこれだけです。後は何もいりません。

 しかし、さらにこの祝福をもっと深く知り、具体的に神様を体験していくために、教会の助けを受けることをお勧めします。もしよろしければ当教会にもご相談ください。

教会は皆さまが来られることをお待ちしています。