<拒食症で眠れない>
 わたしは高校2年のころ拒食症が出てきました。その時、病院に行きましたが、両 親は、心療内科なので病院に行く必要が無いのではと思っていました。わたしは病院 に行きたいと思いましたが、高校生だったので、親の反対を押し切ってまで病院に行く事ができませんでした。また、経済がないので我慢をしていました。高3の時、眠 れなくなり、食べる事ができなくなりました。考えてみると、小学校のころ転校した
時に、ある事でプレッシャーを感じて学校が嫌になった事を思い出しました。中学の ころはずっと微熱が続き、高校になると拒食症の故に眠れなくなりました。
<「不眠症の方がいやされました」
 拒食症のわたしは、学校から帰ると、食べるのが嫌なために自分の部屋で寝たふり をしていました。そのころわたしはピアノのレッスンを受けていました。わたしの事 を知っているピアノの先生は、ある日、何も言わずにわたしをある所へ連れて行って くれました。行って初めて知りましたが、それが教会のカリスマ聖会でした。わたし としては「エッ!」とびっくりしました。しかし賛美が始まるとなぜか急に涙が流れ
出て、なんだかすごいと思いました。その時は分かりませんでしたが、後にそれが神 さまの臨在だという事が分かりました。
 賛美の後の預言の時、講師の方が、「不眠症の方がいやされました」と言われまし たが、それはわたしの事だと思いました。そしていやしを受け、その後、礼拝に行け る時には行くようになりました。
<拒食から過食へ」>
 大学進学の事で、わたしは県外に行きたいし、母は反対でした。結局、県外に行けず、面白くないわたしは、荒れた生活をするようになってしまいました。そんな中 で、今度は、過食が始まりました。そして県内の大学は、ドタキャンして自分が行き たかった岡山の大学に行く事になりました。
 最初のうちは良かったのですが、過食が激しくなりました。過食になると嘔吐を繰 り返すようになりました。太るばかりで体力は無くなり、大学にもなかなか行けず、 行けてもきつくなり、医務室で休むようになってしまいました。
 そのころ、岡山の教会の礼拝に出席していて、洗礼の意味もよく分からずに受洗しました。しかし、倉敷に住んでいたわたしは、岡山教会に行くのも体力と経済の故にきつくなり、だんだんに教会からも離れてしまいました。大学3年になり実習が始まったのですが実習にもついて行けなくなりました。結局、熊本に帰る事になるのですが、そのころ薬を大量に服用をするようになっていました。
<消えてしまいたい>
 熊本に帰ってからは即、熊本大学病院に入院する事になりました。食べられない日が1カ月ほど続いた時、血糖値が低くなり倒れてしまいました。今から3年くらい前の事でした。それで点滴と鼻から栄養を取るようなりました。それが嫌で退院しましたが、1カ月ももたず再び入院しました。大量服薬を繰り返すようになっていました。薬を大量に服薬する時は、自分で何をしているのか分からなくなってしまっていました。「死にたい」のでなく「消えてしまいたい」と思い飲んでしまって、「あっ飲んじゃった」と気付く。そして慌てて胃の洗浄をするという状態でした。それから10カ月以上もの長い入院生活を送りました。
<「消えろ」という悪い声が・・・>
 拒食症で体力が落ちたので、閉鎖病棟で、食べるための訓練が始まりました。拒食と過食を繰り返す中で、体重は18キロも差が出るような事を繰り返していました。
 ある時、散歩に出掛けました。歩いていると「消えろ」と言う悪い声が聞こえてきました。教会にも行ったのですが牧師ご夫妻は留守でした。それで怖くなってしまい、気が付くと県道の橋の上から飛び降りていました。腰の間接脱臼で手術をして、また入院となりました。
<教会に行きたい!>
 入院中に、牧師ご夫妻が来ていやしの祈りをしてくださる夢を見ました。教会に行きたいと思い、外出許可を願いましたがなかなか許可が下りず、「教会に行きたい」と言い続けやっと礼拝出席ができました。礼拝に出ると、また涙が流れ出ました。わたしは教会に行かなければならないのだと気付きました。

<教会から離れない!>
 2月のカリスマ聖会があった時、家のすぐそばでありましたので出席しました。K牧師に祈ってもらいましたが、名前を言っただけなのに、わたしの苦しかった事をすべて語られました。
 神さまは素晴らしいと思いました。それ以来、過食症、拒食症は出ていません。病院の先生も、このまま行けばいやされるでしょうとの診断でした。
 あんなに苦しかった事が嘘のようです。これからは教会から離れないようにしようと心に決めました。いやしてくださった神さまに心から感謝をしたいと思います。

(鶴尾真衣)