キリスト教入門


12、「携挙」

Q 携挙とは、何のことですか?

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

マタイ24:40〜41

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。

Tテサロニケ4:16〜17

聖書には、終末に超自然的な形で、クリスチャンたちが、突如天に挙げられることが書かれています。これが「携挙」と呼ばれていることです。反キリストが支配する患難時代や、その前にもクリスチャンに対する迫害が厳しくなると聖書にあります。多くのクリスチャンが殉教するでしょう。しかし、神は「携挙」という実に不思議な方法でクリスチャンを迫害の世から天に救いだすとあります。

では、携挙は、いつおこるのでしょうか?世界のキリスト教会には大きく分けて3つの説があります。7年間の患難時代の直前に起こる説、患難中(患難時代の3.5年頃)説、患難時代の終わりに携挙される、患難後説の3つです。 私達の群れや、マーリン・キャロザース師は、患難中携挙説をとっています。

第7の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私達の主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

黙示録11:15

第7のラッパが吹かれる時この勝利が開かれます。このラッパは患難時代の真ん中で吹かれます。このラッパは、大患難時代への幕開けを告げると共に、クリスチャンの死者の復活と、携挙を意味すると思われます。これらや、様々な聖書箇所を通し学んでいくと、患難時代の中間で携挙がなされるというのが妥当ではないか思われます。ある程度は迫害の中を通りますが、殉教か裏切るしかない大患難の前には、恵みによって携挙されると思われます。


カイザリヤ


Q クリスチャンは皆、携挙されるのですか?

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える10人の娘のようです。そのうち5人は愚かで、5人は賢かった。・・・

マタイ25:1〜12

ここに、婚礼の祝宴に行く10人の娘が出てきます。みなともしびを持っています。5人の賢い娘はともしびと共に油を用意していました。しかし愚かな娘たちはともしびは持っていましたが、油は持っていませんでした。そして、花婿は思った以上に遅れたのです。そして、10人とも寝てしまいました。そして夜中に突然、花婿が来た!準備せよ!という知らせが聞こえ、急いで娘たちは、ともしびを整えましたが、もう、油がなくなりかけていたのです。5人の愚かな娘は、油を買いに行きましたが、その間に花婿が迎えに来てしまったのです。賢い娘は、花婿と共に婚礼の祝宴に入って行きましたが、愚かな娘が帰って来た時にはすでに扉は閉じて、どんなに懇願しても入れてもらえませんでした。

花婿とはキリストのことで、花嫁とは、教会またはクリスチャンのことと思われます。ともしびとは、聖霊のことを指します。ですから、絶えず聖霊に満たされている必要があります。

また、聖書(マタイ25:14〜30)にはお金(タラント)を預けて出かける主人の例えも出てきます。預けられたタラント(賜物)を用いてお金を増やした、しもべは主人に喜ばれ、タラントを土に隠し何もしなかった、しもべは外の暗闇に追い出された。とあります。外の暗闇とは大患難時代と思われます。しもべですから、全てのクリスチャンだと思われます。他の聖書箇所(マタイ24:45〜51など)を見ても熱心に主に仕え、聖霊に満たされ、賜物を用いているクリスチャンが携挙され、またそれ以外のクリスチャンは大患難に残される可能性が強いです。え〜そんな〜と思われるかもしれません。でも聖書には真実なことだけが書かれています。CS(教会学校)の子供たちでも携挙されるように必死に祈り始めました。神様により頼むなら神様はきっと助けてくださいます。また、大患難時代に残されたクリスチャンも後に熱心になって、宣教に用いられるというような聖書箇所もあります。

全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

黙示録3:10

また、携挙は教会単位であると思われます。黙示録2章から3章にかけて、7つの教会が出てきます。7つのうち5つは神に叱られています。そのうち2つはほめられていますが、「あなたを守ろう」と語られているのは、試練に勝利したフィラデルフィア教会だけです。これから試練を通るスミルナ教会には、死に至るまで忠実なら、命の冠を受けるとあります。この黙示録の7つの教会は7つの時代の教会を意味するとの解釈もありますが、今現在ある7つのタイプの教会のことを指していると思われます。ですから、黙示録を見る時に携挙されるのは、フィラデルフィア教会のように試練に勝利した(試しに合格した)教会となります。では、そういった教会に属していれば自動的に携挙されるかというとそうでもありません。信仰はあくまでも個人的なものです。主を生活の中心におき、聖霊に満たされ、与えられた賜物を用い、熱心に主に仕えているクリスチャンが携挙されると考えられます。聖書を見ると終末は大変な時代と言えます。聖書を良く学び、霊的な目を覚ましていることが重要です。また、失望することはありません。神に祈ることを通して、特別な守りが与えられるのです。

だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

マタイ24:42


キリスト教入門TOPに戻る

キリスト教入門13、「終末−イスラエルの計画」へ