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キリスト教入門


10、「カトリックとプロテスタント」

Q カトリックとプロテスタントは何が違うのですか?

一般の人がイメージする教会はカトリック教会では、ないでしょうか?ステンドグラス、像や絵があったり、西洋風な教会・・・。プロテスタントの教会には、像などはありませんし、礼拝形式もカトリック教会とは違います。しかし、どちらも同じ神を信じるキリストの教会で、もとは一つでした。ではどこが違うのか、見ていきましょう。

キリスト教の歴史

AD30年頃の初代教会時代、アジアからヨーロッパに福音は広がっていきました。この時代、アジア、ヨーロッパの広範囲にわたり、ローマの支配下にありました。ローマ皇帝のもと、キリスト教は激しい迫害がゆるされ、多くの殉教者がでました。しかし、キリスト教は衰えるどころか、ますます世界において増え広がっていったのです。

AD313年コンスタンチヌス大帝「寛容令」をミラノで発布。後に異教の祭りなどを禁止。ついにローマ皇帝はキリスト教を認め受け入れる方針に転向しました。

AD367年デオドシウス帝がキリスト教をローマの国教とすることを勅令。

AD381年東西に分立。東方教会(ギリシャ正教、ロシア正教など)、西方教会(カトリック)に分かれ、カトリックは、ローマ帝国と共に、ヨーロッパ全体に広がっていきました。

その後、ローマ帝国が衰退しても、キリスト教はヨーロッパ全体に浸透し、ローマ教皇は、歴代皇帝の上に君臨するようになり、政治的にも大きな権力を持つようになりました。しかし、それが教会に腐敗と堕落をもたらしました。免罪符(お金を払って許しをうける)の発行、聖職位の売買。中世、教会の暗黒時代となったのです。しかし、6世紀末頃から正しい信仰を求める運動が起きました。そのような時代にも正しい信仰を持つ修道士や、フランシスコ会などを通して、異教の地への伝道の働きは進みました。

11世紀に入り十字軍遠征の失敗、教皇領をささえる荘園制度の崩壊など、中世の封建制度は崩れてきました。(ルネッサンス運動)その中で教会内部から浄化する運動がおこり、教皇支配や政治からの独立を主張するクリスチャンが現れ始めました。14世紀イギリス、オックスフォードの大学教授であったジョン・ウイクリフは教皇に対し、イギリスの政治、宗教上の独立を要求し、教会の首位はキリストにあり、権威は聖書にあることを主張。しかし、ウイクリフは、異端とみなされ、火刑に処せられました。その後も宗教改革を叫んだ人々は処刑されていきました。

15世紀に入り宗教改革が本格的に動き始め、カトリック教会の内部改革や、宗教改革が活発におこりました。そしてルター主義や、カルビン主義のプロテスタント教会が誕生したのです。権力者に反発する人たちも便乗し、流血の事態に発展し、宗教裁判で多くのプロテスタントのクリスチャンが処刑されました。しかし、改革の炎は消えず、プロテスタント教会も成長を遂げ、北ヨーロッパに広がっていきました。アメリカ新大陸が発見されたことにより、多くのプロテスタント・クリスチャンが移住しました。また、カトリック教会内部にも変革の動きがあり、イエズス会などが、大航海時代と共に世界に出て行き、世界に福音が広がりました。


カイザリヤの劇場跡


教会の歴史を見ると、福音の勝利とその後の堕落、困難の中で立ち直ろうとする動きがおこり、福音が広まる。まるで、イスラエルの歴史と似ていますね。教会は外側と内側の戦いの中、世界中に広まりました。その中で、カトリックから、プロテスタントが生まれました。


プロテスタント教会との違い

カトリック教会は、ローマ教皇を頂点とする、一つの大きな組織です。プロテスタントには、多くの教派があり、単立の教会などもあり、教会の頭はキリストです。プロテスタントは、聖書だけが真理です。しかし、カトリックでは、教会会議によって教義が決定されます。カトリックの教義には、マリアの無原罪(罪がない)教皇の無謬性(まちがいを犯さない)など聖書にはないものがあります。また、マリアを通して祈ったりします。他にも違いがありますが、最も大きな違いはそこです。

この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。

ヨハネの黙示録22:18



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